最近思うことを、徒然なるままに書きます。
人が音楽に感動するとき、そこにはさまざまな要素があると思います。
我が目を疑うような、卓越した楽器の技術もそうでしょう。
昨今のFBに投稿される動画などを見みていると、まさにその思いを強くします。
でも逆に言うと、SNSに発信される動画などの類というのは、そういった部分を最も伝えやすい、もう少し言えば、最悪はそれしか伝えられないのではないかと思います。
で、昨今、僕が深く思うことはと言いますと、音楽を聴く人が何に一番感動するかというと(もちろん好みは十人十色ですから、みんながそうだとは言いませんが)、やはりその音色ではないのかなと。
想像してください、すっごく速いフレーズを楽勝で弾くようなプレーヤーがいたとして、でもその人の出す音色がどうもいただけないとしたら。
一方、音数は少なく、決して超絶なフレーズがないけれども、とにかく一音で、感動するような音色を出すプレーヤーがいたとしたら。
もちろんこれは相反することではなく、理想的には両立していることがベストかと思います。
そう言えば最近、共演させてもらうという光栄を頂いた、あのマーカス・ミラーがクリニックで言っていた印象的な逸話があります。
受講者からの「マイルスからのアドバイスで最も印象的なものは?」と言う問いに答えて、「一音出した瞬間に、お前が誰かって分かる、そういう音色を持て。この言葉が最も心に残っている。」とのこと。お二人ともまさにそうですよね。もちろん楽器もめちゃくちゃ上手いけど。
ただ、この武満さんの言葉にあるように、昨今の多くのプレーヤーが、音色という、本当に大事な技術を、なかなか意識しにくいような状況になっているのかもしれません。
というのも、本当にいい音色を、パソコンやスマートフォンのスピーカーで再生できるとは到底思えないからです。
ま、それはさておき、この一文にあるように、西洋は素晴らしく、アジアやアフリカなどの、後発国の音楽や楽器、さらに言えばプレーヤーが劣っているというのは、本当に先入観でしかないのかもしれません。
そんな意味でも、もう一度、自分の先入観や偏見を疑う目を持つことは大事じゃないかなと思います。
そして、音楽の本質や音楽から受ける感動の理由とは何かを、もう一度しっかり見つめなおしたいと思う、今日この頃です。