職業ミュージシャンになること、そしてそれを続けることはここ数年、本当に厳しくなっています。
ぼく自身は、子供も大きくなり、なんだかんだのローンもめどが立ったので、あとはのんびり余生を過ごせるだけの活動が出来れば良いところまで来ましたが、若い人は、特にジャズを志すような人は本当に大変だと思います。
どう考えたって、ジャズをやっていって、それだけで子供を育てて家の家賃(あるいはローン)を払っていけるような生活設計は、今後はもう成り立たないんじゃないかなって思います。
でも本来、音楽を生業にするってのは、そういうことだったのかも知れません。
この日本に職業ミュージシャンというものが生まれて、その人達がまともに食えたというのは、きっと大正から昭和・平成にかけてのほんの数十年だけの、実に恵まれた期間だけだったのではないでしょうか?
雅楽などの宮廷お抱えの人を除いては、きっと河原乞食といわれるような最下層の存在として生きてきたんじゃないんでしょうかね?
欧米には伝統的に、裕福層が芸術家を支援する、パトロンというような考えがありますが、そういったものもこの日本では、根付く前に、多くの人が中流以下になってしまって、それどことじゃなくなった。
国や行政も、もう本当にそれどころじゃないですからね。かの大阪市長がバンバン、芸術に対する予算を削っているのも分からなくもないです。もちろん、「で、その金をどこに回してんの?」ってとこは大事ですが。
でもほんとうは、こんな時こそ、その人の文化度が分かるってもんですよね。文化って、「なにはなくとも」という気持ちでフォローしていかないと育たないもんだと思うのですがね、市長。
で、その「なにはなくとも」です。400万円に収入が減っても大リーグに挑戦する松井秀喜のように、収入が十分の一になろうが志を貫く、夢を諦めない気持ちはとても大事だと思います。
(もちろん大リーグに昇格したら、一気に7000万強に上がるそうですが)
その松井以上に、サッカーファンの僕が共感するのは、先日急死した元日本代表、松田直樹選手の「俺、もっとサッカー、やりたいんすよ!」って涙ながらに語ったあの想いです。
食えるかどうかなんて考えていたら、好きな事なんて出来ないんだろうと思います。
彼は本当にサッカーが好きだった。死因がそれと関係しているかどうかはわかりませんが、もちろんストレスも挫折感もあっただろうし、ひょっとしたらそれが遠因だったかも知れません。でも、とにかくサッカーが好きだったんだろうなぁ。
とはいえ松井も松田は、大成功した選手ですよね。
その影で、誰からも注目されずに消えていった選手の多さといったら、凄い数なんでしょうね。
いや、好きなことを生業にするというのは本当に難しいですね。
ということで、僕は、引き際も大事だとも思っています。公共事業じゃないですが、引き際を逃すと大変なことになる。自分の限界を見極め、勇気ある撤退をする勇気も大事だと思っています。
音楽を貫き通すのもいいと思いますが、それ以外の道を模索することが必要なときがあるとも思ってます。
大事な事は、そこに至るまでにどれほど真剣に音楽と向き合ったか、また次の道を模索しはじめたときに、音楽を志していたときの経験値がどれほど役立つか、そんなふうに音楽と向き合っていたかどうかだと思います。
その経験値があれば、勇気ある撤退は決して、単なる敗北にはならないんじゃないかと思っています。
かくいう自分も、まだ音楽からの撤退はしていませんが、でも小さな局面では、数限りなく撤退してきました。
いや、とにかく人生っておもしろくもあり、難しくもあります。
そして人生をおもしろく感じるかどうかは、その人の考え方ひとつだと思う今日この頃です。