ベーシスト チャーネット・モフェット氏が4月11日に亡くなったそうです。

チャーネット・モフェット氏が4月11日に亡くなったそうです。
1967年6月生まれだそうですから、まだ54歳。あまりに若い!
彼を始めて見たのは、ウィントン・マルサリスのユニットで来日したとき。
おそらく1984年のデビュー直後の頃だったと思うので、まだ若干17歳。その年齢でのデビューそのものが凄いと思いましたが、ところがどっこい、僕が見たそのステージでは、ウィントンがソロを吹き終わるたびに、彼の横に行って、演奏中にもかかわらず、ずっと耳元で何か喋っていました。
きっといろいろ説教されていたんでしょうね。

そのときの僕には、彼の何が問題だったのかよく判りませんでしたが、その二人の雰囲気からして、楽しい談笑には到底見えませんでした。
「ああ、世界って厳しいんだ!」と、渡米直前の僕には強い印象として、そのときの模様が脳裏に焼き付いています。
そのあと、彼に会ったのは、1990年頃、僕がアメリカ留学から帰ってきて、やっと仕事が入ってきた頃の、とある都内のジャズフェスです。
演奏後、ちょっと彼と話をする機会があったので、「ところで今日使っていたベースは、アメリカから持ってきたの?」と尋ねたら、「いやいや、日本でレンタルしたもの。でもコンディションが全然合わないから、ほら、こんなことになっちゃった!」と言って、僕に見せてくれた彼のその右手の指は、血豆が潰れて、それこそ血まみれでした。
でも、ステージの袖で見ていて、そんなことを微塵も感じさせないすさましいプレイ!

確かドラマーの、シンディ・ブラックマンにユニットだったと思うのでそれこそ、これでもかというくらいのハードな演奏だったので、さもありなんです。
「へぇ、チャーネットクラスでも、こんなことになるんだ!」と、これまた強い印象を受けた記憶があります。
確かにその頃の彼のプレイスタイルはあまりのパワープレイで、ジャズファンからは賛否両論だったように思います。
そしてそのあとに現れた、クリスチャン・マクブライトという、ド級が付く大天才によって、そのポジションを取られたように思うのは僕だけでしょうか?
経緯はよく判りませんが、なにか病気でも患っていたのかというようなことがネットにあったのですが、彼の晩年の様子よく知りません。

でもいずれにしても54歳は若すぎる。
自分より若く、そして才能のあるミュージシャンがこの世を去るのは本当に悲しいですね。
残されたものとして、真摯に音楽、そしてジャズと向き合い、手抜きしたり、あるいは言い訳を言ったりや状況のせいにしたり、だから諦めるたりすることなく、しっかりと演奏していくこと、それが彼らに対する敬意であり、また供養かと思います。
チャーネットさん、お疲れ様でした。
あの世でも、血豆に負けず、ハードにグルーブしてください!

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納浩一 CODA コーダ

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