僕のアルバム「CODA」に参加していただいたミュージシャンへのインタビュー、その第5回はアレンジャー、バンドリーダー、そしてトロンボーン奏者の村田陽一さんです。
今回のアルバムではビッグバンド全5曲を含め、6曲に参加していただいています。
しかもビッグバンドのうち2曲は、なんと村田さん一人によるトロンボーンセクションとなっています。
村田さんとの出会いも本当に古く、僕が日本に帰国してすぐの1989年だったと思います。
その頃彼は、新宿ピットインの昼の部に自身のレギュラー枠を持っていて、そこでのセッションに呼んでいただいたのが最初だったように思います。
当時新宿ピットインは朝・昼・夜の3部制で、朝の部は11時過ぎ、昼の部は14時くらいから始まります。そして、ランクアップするかのごとく、キャリアを積むと朝→昼→夜と、出演時間が変わっていくというようなイメージです。
そうやってみんな上を目指して切磋琢磨していたんですが、本当にジャズが盛り上がっていたいい時代でした。
インタビューの中でも触れているとおり、そのとき村田君が、ジャズトロンボーン奏者なら必ず演奏するという定番曲、J.J.ジョンソン作曲の「Lament」というバラード曲を選んだんですが、僕はあまりよくやり慣れていない曲だったので、メロディをよく覚えていなかったこともあり、記憶にあるところでは、曲が始まった途端、おそらく僕が倍のスピードで進行してしまったんだと思います。
しかも最初はベースとトロンボーンの二人だけで始めようというようなことになっていたように思うので、あっという間に僕はどこをやっているのか分からなくなるという事態が起こりました。
なにせ、初共演ですし、昼の部といえ、老舗である新宿ピットインのステージ。
本当にかっこ悪いし、とにかく悔しい思いをしたことを鮮明に覚えています。
まあ、そんなもんで、上手くいった演奏はほとんど記憶に残りませんが、こんな大失敗は30年経っても忘れませんね。
ま、それはさておき、そんなこんなで意気投合した我々なのですが、その後すぐ、NYの老舗ライブハウス、バンガードで毎週月曜日にレギュラー出演しているマンディ・ナイト・オーケストラの日本版みたいなオーケストラをやりたいということで村田さんが立ち上げた、村田陽一マンディ・ナイト・オーケストラのレギュラーベーシストとして呼んでいただきました。
そのバンドはなんといまも新宿ピットインで、不定期ではありますが、ライブをやっています。
もう30年を超える長寿バンドです。
また1996年には、渡辺貞夫さんが立ち上げたビッグバンドにも誘っていただき、それがきっかけで僕は貞夫さんのバンドのレギュラーベーシストに抜擢され、そこから12年、レギュラーを務めました。
さらには1997年に出した僕の初リーダーアルバム、「三色の虹」の総合プロデューサーもやっていただいたりと、本当に彼にはお世話になっています。
今回のレコーディングでも、ビッグバンドをアレンジしてレコーディングするという僕の挑戦を快くサポートしていただき、同録ビッグバンドの人選も全て村田さんがやってくれました。
その意味では、今回のアルバムも、彼なしではなしえなかったと思っています。
持つべきものは友人だということですね!