最近読んだ本、内田樹さんの「だからあれほど言ったのに」
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はとてもおもしろかったのですが、その中に、「採算度外視で書物を守る人たち」というコラムがありました。

曰く、昨今は大きな街でも本屋が一軒もないというようなことが普通になってきている、また大手出版社も本が売れなくてどんどん潰れて行っている、でもそんな状況の中で増えているのが一人本屋、そして一人出版社だとのこと。

一人本屋とは、月曜から金曜くらいまでは別の仕事をし、週末だけ自分の家などのスペースを利用して本屋を開いているような人だそうです。実は本屋を開業するのに、これといった特別な許可が必要というわけではなく、その気になれば誰だった本屋を始められるとのこと。
そういえば本屋の営業許可なんて、考えてみたこともなかったですね。

でも本って本当に大事で、その本でも語られているように、本というのは「異界への通路」、本の世界に入り込めば、そこには自分が全く経験したこともない知識や風景や匂いや文化の宝庫となります。もちろんこれは、映画や、いまはやりのSNSでも言えるのでしょうが、でも映像や音があると、どうしてもその分、創造力が働かなくなってしまうような気がします。

一方文字だけだと、その人が豊かなイマジネーションさえ持っていれば、自分自身だけが創り上げる素晴らしい空間の中に身を置くことができます。
これは音楽で言うと、歌詞のある音楽とそうでない音楽の違いに似ているように思います。
歌詞のある音楽は、その歌詞によって単純に状況設定を作れてしまうので、それほど創造力を働かせなくてもイメージを作ることができますが、一方インストミュージックはそういうわけにはいきません。

だからイマジネーションの希薄な人にとっては、「インストはわからない」「ジャズはピンとこない」「クラシックってよく理解出来ない」ということになるのでしょう。
でも僕にとっては、チープな歌詞が付いている音楽はそれだけでイメージが限定されて世界が拡がらない、一方歌詞のないジャズやクラシックでは、自分の創造力が刺激されて、限りなくいろんな風景が見えてくると思うのです。
話が逸れましたね。ということで、内田さんは、本は自分の知らない、あるいは想像もできない世界に通じる通路だと仰っています。
本好きの人にとっては、我が街に本屋がなくなると、やはりその街の文化の灯が消えたような感覚になるのでしょうね。なので、週末だけでも良いから、文化の根を絶やさないよう、孤軍奮闘してでも本屋を維持しようという気持ちになるのかと思います。
その同じ意味で、一人出版社というのを立ち上げる人もいるのこと。

自分で出したい本を出すためだけに出版社を立ち上げるそうですが、こちらもそれだけでは到底食えないので、普段は別の仕事をしながら、身銭を切って自分の出したい本を出すということだそうです。
昨今、本が売れなくなって久しいと聞きます。その意味では、大手出版社というのも本当に大変なのだろうと思います。これもその本にありますが、本を売って金を儲けるというシステム自体が崩壊してきたのだと言うことなんでしょう。
ベストセラーや○○賞作家の本が何百万部も売れるなんて時代はもう過去の過去のお話、でもそんな時代に大きく手を広げていた出版社や本屋がそのビジネスモデルにしがみついてれば、倒産の憂き目を見るのは当たり前ってことでしょう。
そこで新たなアプローチとして現れたので、コラムのタイトルである、採算度外視で出版文化を守ろうという人たちということのようです。
この流れは、実はジャズの世界も全く同じだと思いながら、このコラムを読んでいました。

確かにジャズの世界、特に日本人の普通のジャズミュージシャンにとっては、レコードやCDの売り上げだけで食えるような状況は、現在はもちろん、過去にもありませんでした。
ですからそれは本の世界とはちょっと違います。我々に取ってはライブの集客や、たまにあるジャズフェスなどのビッグイベントでの演奏が、その収益のほとんどだったと思います。
中には、それと並行してレコーディングや学校での教鞭で、プラスアルファの収入を得ていたミュージシャンもいるでしょう。
ですが、2010年頃、そう、リーマンショックと東北の大震災辺りを境に、大きなイベントは減少傾向となり、それに加えて少子化で、音楽専門学校や大学に来る生徒も減って来ました。
それで言うなら、都内の大手の音楽専門学校は全て、数年前に閉校となりました。
その代表例を幾つか挙げておくと、パン・ミュージックスクール、メーザー・ミュージックスクール、そして僕が卒業し、その後講師も務めていたアン・ミュージックスクール等々。
また音大も、昨今の少子化でその生徒は減る傾向ですが、幸い、中国からの留学生で何とか定員は確保しているようです。それも、中国の経済が下降線を辿るいま、この先どうなることやら。

また話が逸れました。その右肩下がりの状況に、決定的な一打を打ち込んだのがコロナです。
コロナのおかげで、それまでもライブハウスに足を運んでくれていた団塊の世代=ジャズが最も華やかな頃にジャズに酔いしれていたコアなジャズファンが多くいた世代が、ライブに足を運ばなくなりました。
もちろん企業業績も落ち込んでいますし、行政もお金がないということで、ジャズを始めとする文化に予算が出ないということになってきたのでしょう、大きなイベントもほぼ壊滅しました。
唯一盛り上がっているのが、素人参加型のジャズストリートとジャムセッションですね。
まずミュージシャン用のギャラが発生しませんから、開催する側も、それだけでリスクが減ります。
さらにはアマチュアは頑張って告知や宣伝をしますから、集客もそこそこになります。

だったらわざわざリスクをしょってプロを招聘する必要もないと言うことですね。
しかも昨今のアマチュアのレベルは、中途半端はプロと同レベルか、場合によってはそれ以上なんてこともよくあります。
でもこの状況は、裏をかえせば、演奏者の裾野が広がり、多くの人がジャズをより身近に楽しむ状況ができてきたということなんだろうと思います。

大ホールを満杯にするような大物ミュージシャンはいなくなったし、何万枚もセールスするようなビッグアーティストはいなくなったけれども、多くのアマチュアミュージシャンが、週末に集まってセッションを楽しむ、これはさっきの「一人本屋」「一人出版社」に近い状況なんだろうと思います。
そんななかで、身銭を切ってでも、そういうアマチュアミュージシャンに場を提供したり、あるいは数百枚でもいいから、セールスは気にせず自信でアルバムを制作するというような動きがあるのかなと思います。

一方プロのミュージシャンも、もう昭和や令和のビジネスモデルは捨てなければならない時代になったということかと思います。
僕は数年前から、「プロのジャズミュージシャン」という存在は近い将来、無くなるだろうと言ってきました。悲しい感じもしますが、でもジャズがなくなるわけではありません。本当にクリエイティブになるためには、身銭を切ってでもやるしかないし、もっと言えば、はなから「こんなもんで食っていけるわけがない」と開き直ってジャズと向き合う方が、実は楽な気がします。
たまたま昭和の時代に、ジャズで儲けることができた時代があっただけで、それはある意味、日本のジャズにとっては身の丈に合わないバブルだったんだろうと思います。

身銭を切ってでもジャズを楽しむ覚悟、これがこの先の日本のジャズが進む道のような気がしますね。
そして僕は、身銭を切ってでもそんな場を作って、本当にやる気のある若いミュージシャンの活動をサポートできたらと思う今日この頃です。まさに「採算度外視の一人ライブハウス」をやってみようかなと。

CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

オサム・ワールド、ここに完結!
日本のトップミュージシャンたちが一同に集結した珠玉のアルバム CODA、完成しました。
今回プロデュース及び全曲の作曲・編曲・作詞を納浩一が担当
1998年のソロ作品「三色の虹」を更に純化、進化させた、オサム・ワールドを是非堪能ください!