C Jam Blues ポール・チェンバース ベース譜

DL23062305

C Jam Blues ポール・チェンバース ベース譜

商品番号:DL23062305
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毎回一人、僕が大きな影響を受けたベーシストを、そのソロやベースパートのコピー譜とともに、なぜ凄いのか、またどんな影響を受けたのかといったことに触れつつ、そのベーシストを分析しようというコーナーです。

せっかくなんで、一回ごとに、アコースティックベース奏者とエレクトリックベース奏者を交互に取り上げようと思っています。もちろん、どちらもこなすかたもいらっしゃいますが。

で、そのベーシスト列伝、第1回目に取り上げるのは、ポール・チェンバースです。

生年月日:1935年4月22日
死没:1969年1月4日
出身地:アメリカ ピッツバーグ
元々はチューバをやっていたそうですが、やはりそういうバックグラウンドがあるからか、彼のソロは本当に管楽器のような、まさに唄うフレージングだと思います。
ウィキペディアによれば、1954年にNYに出たということですから、彼が若干19才の時ですね。
そして翌1955年にはマイルス・デイビスの、あの第1期黄金クインテット(Ts:ジョン・コルトレーン、P:レッド・ガーランド、Dr:フィリー・ジョー・ジョーンズ)に参加しているのですから、もうNYに出てすぐにその実力が認められ、さらにはその存在がマイルスの目の止まったということでしょう。
そのマイルスバンドに参加したのが若干20才ですから、いかに若くして、ベーシストとしての能力を獲得したかということですね。ほんと、驚きです。
でもジャコも、彼の作曲のそのほとんどが、10代で作られたものです。「Teen Town」はその名の通り、「10代の街」ですが、あんな曲を10代でかけるとはね!
また、マーカス・ミラーの16才の時の録音というのを聞きましたが、その演奏は今とほとんど変わらず! そういえば、マーカスがマイルスバンドに入ったときも、確か彼は21才くらいだったと思います。まあ、このジャコもマーカスも、もちろんこのベーシスト列伝で取り上げる予定ですが。
彼の経歴で最も有名なのは、やはりマイルスバンドでの、1955~56年にかけてのマラソンセッション、そしてその同じ頃に録音された彼のリーダー作の数々でしょう。

1956年 Cookin’
1956年 Relaxin’
1956年 Steamin’
1956年 Workin’
1956年 Whims Of Chambers
1957年 Paul Chambers Quintet
1957年 Bass On Top

このあたりのアルバムは、僕がジャズをはじめた頃、誰からもから、「このあたりは聞いておかないと!」と勧められた、ジャズベースを志すものなら必修アイテムといった感じでした。
もしまだ聞いたことがないというアルバムがあったら、是非聞いてみてください。どれも、チェンバースのみならず、この時代に活躍したジャズミュージシャンの熱い息吹は聞き取れるはずです。
と、ここまでは事実のみを書き上げましたが、これらの情報は、それこそウィキペディアなどを読めば大体わかります。
ということで、せっかくのサロンの記事ですから、ここからは彼に関する僕の個人的な想いを書きたいと思います。
僕は、「ジャズベースのパイオニアを3人、挙げてください。」と問われれば、このチェンバースとジャコ、そしてスコット・ラファロを選びます。もちろん、レイ・ブラウンやマーカス・ミラーも加えたいところですが、敢えてというなら、この3人になります。
この3人に共通するのは、3人とも、本当に早くに、この世を去ったということです。
このチェンバースが39才、ジャコが37才、ラファロに至っては25才です!
しかも、チェンバースもジャコも、そのキャリアの後半数年は、ほとんど演奏をしていません。
というより、ドラッグや酒、あるいはその起因となる精神の疾患のせいで、演奏できるような状態ではなかったといった方が良いでしょう。
でもたった数年の演奏活動で、その後のジャズベースのあり方に、本当に多大な影響を残したという意味では、この3人は実に偉大なパイオニアだと思います。

チェンバースは、マイルスバンドを脱退したあと、60年代に入ってからは、ほとんどアルバムを残していません。きっとジャコと同じく、相当酒とドラッグにはまってしまって、精神的にも肉体的にも、演奏に耐えうるような身体ではなかったのではないでしょうか?
マイルスバンドを脱退した理由も、マイルスが、あまりにドラッグの使用が常習化してしまっているチェンバースと、ドラマーのフィリーに愛想を尽かしたというような話も聞きます。
そうそう、こんな話も聞きました。チェンバースは、あまりにドラッグをやり過ぎて(あるいは酒の飲み過ぎ?)、演奏中に、ピアノの中に嘔吐したなんて事もあったそうです。本当かなぁ? もし本当だとしたら、さすがにひどすぎますね。
ま、それほどまでに酒とドラッグに溺れていたので、身体もボロボロだったのかもしれませんね。
そういえば、こちらも僕の大好きなアルバムですが、ギタリストのウェス・モンゴメリーをゲストに迎えた、ウィントン・ケリー(P)・トリオのアルバム、「Smokin’ at The Half Note」という名盤があります。これは1966年の録音なんで、チェンバースが死ぬ3年前のアルバムですが、よく聞くと、チェンバースの、そのアコースティックベースの音程が、かなりヤバい部分があります。これはきっと、当時の彼の演奏がちょっと怪しかった証しかと思います。
この時代の録音というのは、ベースの音が今ほど明確に収録されていないので、多少音程が危なくても、今ほどは気にならないといえるので、目立たないのかもしれませんが、よく聞くと、結構気になります。まあ、これはあくまで僕の推測ですが。
まあ、ジャコの晩年の演奏も、ほとんどがひどいですよね。あれと同じかと思います。
ではチェンバースの、どこがどうパイオニアなんでしょうか?

その良い例として、彼のソロを載せておきます。
これは、レッド・ガーランドの名盤、「Groovy」(1956~57年収録)の1曲目に収録されている「C Jam Blues」でのチェンバースのソロです。これも名盤なので、是非聞いてみてください。
で、このソロでわかるように、本当に管楽器のような、言い換えれば、ビ・バップならではのフレージングが満載のソロになっています。
このソロを聴くだけでも、彼が当時、どれほど他のベーシストから頭一つ抜け出したベーシストだったかがわかるような気がします。こんなソロを取ることの出来たベーシストは、当時はほとんどいなかったのではないでしょうか?
もちろん、彼の前にはジミー・ブラントン(彼も21才でエリントン楽団に入り、24才で亡くなっています。)、同時期にはレイ・ブラウンがいましたが。
とにかく、本当にホーンライクに歌い上げることの出来る素晴らしいソリストであったのですが、もちろん、強力なグルーブでバンドを鼓舞するリズムセクションの要でもあったわけです。
まあ、そんなベーシストだから、マイルスが誘ったわけですし、それ以外でも、当時の名盤の多くに彼の名前があるわけですよね。
また、もう一つ特筆すべきは、彼の弓(アルコ)で弾く、ボーイングと呼ばれる奏法でのソロですね。

当時は、まだベースアンプの無い時代ですから、ベースは生音で演奏していたわけです。
もちろんジャズクラブなどでは、マイクでその音を拾っていたかもしれませんが、そんなことくらいで、ちゃんと聞こえるわけがありません。
そんな状況ですから、きっと、弦高もそこそこ高かったでしょう。
弦の材質そのものも、今のようなスティール製などでは無く、きっとガット弦(牛や羊の腸から作った弦)だったでしょうから、現在のようなピチカートでの速弾きというのもほとんど無理だったでしょう。
そんな状況で彼が生み出したのが、弓による速弾きだったのだろうと思います。弓なら、音量も稼げますし、速く弾くことも、指よりは楽です。
実際、ジョン・コルトレーンのアルバム、「Blue Train」(1957年)に収録されているあの難曲、「Moments Notice」でも、アルコで見事にソロを取っています。あんなこと、ピチカートでは、少なくとも1957年当時は絶対無理だったでしょう。
ラインに関しても、本当に独特の音使いをします。
僕がジャズを勉強し始めた19才の頃、はじめて彼のラインを聞いたとき、ラインにおけるその謎だらけの音の選び方に面食らったことがあります。(もちろん未だにその謎は解けていませんが)
いまなら「ラインなんて、結構コードを無視しても全然大丈夫!」というような知識は、こちらも得ましたから、チェンバースの音の選択に面食らうことはありません。

かたやもう一人のレジェンド、レイ・ブラウンは、これぞお手本というような、教科書的な音の選び方をしているといっていいと思います。初心者が最初に勉強するなら、レイ・ブラウンの方が良いかもしれませんね。まあ、とにかく本当に対照的な二人です。
きっとチェンバースは、その独特の感性で、コードなどに縛られず、その瞬間瞬間に聞こえた音を、気持ちの赴くままに選んでいったのでしょう。
そんな感性が、貼付した彼のソロにも現れているかと思います。

一応、コード付けをしましたが、これもあんまり当てにしないでください。僕にはこんな風に聞こえるというだけで、チェンバースが実際、何を考えてこれらの音を選んだかは謎です。本人のみぞ知ることでしょう。
ただ面白いのは、C7のブルースなのに、B♭ではなく、Bの音を多用していることです。

聴き方によっては、C Major7 にも聞こえますが、Cに対するドミナントのG7を中心にソロを組み立てているともいえます。まあ、そのどちらなのかは、死人に口なし、今となっては全くわかりません。
でもとにかく参考になる部分は、たったこれだけのソロの中にも満載かと思います。
是非参考にしてみてください。

いずれにしても、そのサウンドやベースの奏法、ソロのアプローチ、ラインのユニークさなど、どれを取っても特筆すべきベーシストだと思います。
そしてこんな20才の若者を見いだして、自分のバンドに入れたマイルスという人の、その目利きのすごさにも感心させられます。
きっとこの1950年代後半のNYのジャズシーンって、本当に凄かったんでしょうね。
タイムマシンがあったら是非行ってみたいなぁ。